創立150周年記念

ごあいさつ

創立150周年にあたって

理事長山下光

理事長 山下 光

国際親善総合病院の歴史は、この小さな病院の帰趨を巡って戦前の日本の外務省・内務省・大蔵省及び厚生省の間で発令された文書を読むだけで、一筋縄ではいかないことが分かる。

この病院の嚆矢は、1863年横浜の外国人居留地民が浄財を集めて、委員会組織によって管理・運営されていた公的な診療所(パブリックホスピタル)であった。その後、承継病院として、1867年からジェネラル・ホスピタルと名のっていた病院を1868年に住民団が買収したが、この病院は、日本では初の近代的な総合病院であったと思われ、幕末、日本人医師や看護師に多大な影響を与えたが、その後、外国人、それも入院専門の病院に特化したためか、日本の歴史から忘れられた嫌いがある。

この病院の運営には、英米系が力を持っていたようである。そのような事情もあってか、第二次世界大戦開始後、敵国資産に指定されたが、病院は閉院されず、英米系の方々が帰国したので、委員会は、日本人にスイス人・ドイツ・イタリア・中国人を加え運営されていたが、昭和19年に法人化された。

ところが、病院所在地の山手が外国人立入禁止地域になり、病院が横須賀海軍の分院として貸与を求められるに至った。そこで、海軍と神奈川県の斡旋で代替病院を関内に取得した結果、関内と山手に病院を二つ保有することになった。

しかし、終戦後、理事会において日本人理事は全員が辞任し、山手は外国人が経営し、関内は日本人が経営することとなり、関内の病院は弥生台に移転し今日に至っている。

関内の病院は、横浜一般病院から国際親善総合病院に変更したが、昭和26年に社会福祉法が施行されると、翌年には社会福祉法人に組織変更し、病院機能評価が実施されると、県下で最初(平成10年)に病院機能評価の認定を受けており、これは先人の進取の精神を連綿として引き継いだものである。

この度、150年に至ったのを契機に、先人が医療を含めた近代文明を日本に伝えた功績に感謝し、その実績を深く心に留め、医療を営む社会福祉法人として、社会に貢献する意識を再確認するため創立150周年を開催することとした。

医療の原点に立ちかえる

病院長村井勝

名誉病院長 村井 勝

国際親善総合病院の前身であり、欧米人を中核とする委員会により設立されたヨコハマ・パブリックホスピタル(YPH)、さらにこれを承継したヨコハマ・ジェネラルホスピタル(YGH)はわが国の近代医学の黎明期における指導的な病院であったと伝えられております。日本人患者の治療も行い、後の軍医総監、初代日本赤十字社病院長など西欧の近代医術に関心を持つ若い日本人医師たちも学んだといわれます。

第二次世界大戦時構成された日本人を中心とするYGHの委員会が運営した関内の横浜一般病院では昭和20年焦土と化した横浜大空襲にも職員総出の消火で類焼をまぬかれ診療を継続しました。国際親善病院と改称した戦後は生活困窮者を含む多くの患者さんに慕われる病院となり、沢山の犠牲者が出た昭和26年の国電桜木町事故では病院をあげて負傷者の治療にもあたった事など、当院は歴史の節目で大きな役割を果たして来たといえます。その後西が岡に移転時の病院長はその立地を米国のロチェスターに擬え、日本のメイヨーを目指そうと職員を鼓舞したとされています。ご存知のようにメイヨー・クリニックは患者のニーズを第一とし、毎日全ての患者に最善の治療を提供するというミッションを掲げた全米で最も優れた病院の一つに数えられています。当院も未だ病診連携という言葉もない移転当初より地域医療機関との連携を目指し、急性期中核的病院としての機能を果たすことに努力いたしました。初期研修医制度化以前から研修医の受け入れ、日本病院機能評価機構による県下第1号認定、早期からの医療安全管理部門の設置などを通じ、常に当院の理念として掲げる良質な・親切なそして信頼される医療の実施を目指してまいりました。

YPH、YGHが外国人居留民の浄財により維持されたことに加え、当時の新聞広告に「各国貴賤無格別療治看病」とあることからも、これらの病院の基盤は現在ある社会福祉法人親善福祉協会グループの精神「社会福祉・医療」「国際親善」に繋がっております。変革する医療の中で150周年を迎えるに当たり、私たちは「さらなる一歩を 明日へ」というスローガンのもとに、先人の業績を敬い、医療の原点に立ちかえり、社会から負託された使命に対する責任を果たしてゆきたいと願います。

沿革

1863(文久3)年

4月 「THE YOKOHAMA PUBLIC HOSPITAL」が、横浜居留地88番地に設立される。

1863─1866 THE YOKOHAMA PUBLIC HOSPITAL

今から150年前の1863(文久3)年、横浜に外国人居留民からなる委員会による公共病院が誕生しました。その名前をTHE YOKOHAMA PUBLIC HOSPITALといい、場所は居留地88番地(現在の中区山下町88番地)、院長は元イギリス海軍軍医で前公使館付医師であるジェンキンスでした。私たちはこの病院を国際親善総合病院のルーツと考えています。

横浜開港資料館所蔵
横浜開港資料館所蔵

1867(慶応3)年

3月 「THE YOKOHAMA GENERAL HOSPITAL」と改名。山手82番地に移転。

1867─1944 THE YOKOHMA GENERAL HOSPITAL

経営難のため、THE PUBLIC HOSPITALは1866(慶応2)年で閉院となります。しかしその病院の機能は各国居留民委員会の手によって1967(慶応3)年 THE YOKOHAMA GENERAL HOSPITALに引き継がれます。場所は居留地山手82番地(現在の中区山手82番地)、院長は元オランダ海軍軍医メイエルでした。

相模原市立博物館所蔵
横浜開港資料館所蔵

1936(昭和11)年

十全病院(横浜市立大学病院の前身)副院長?沼憲二氏がGENERAL HOSPITALの顧問となり院長事務取り扱いとなる。

1937(昭和12)年

米国人建築家J.H.モーガン設計の鉄筋コンクリート造2階建(後に増築されて3階建)の病舎が建設された。

1942(昭和17)年

6月5日 GENERAL Hは、敵産管理法施行令第3条第4項に基づき、大蔵大臣より敵産に指定された。(敵産管理人三菱信託株式会社)

1943(昭和18)年

6月 GENERAL H 病院委員会(同盟国─中立国の欧州人からなる)は、改組に関する日本帝国政府の計画に原則的に同意したと、日本側(外務省)に通報するとともに新しい委員会(委員長松島肇、他日本人6名、外国人4名)を組織した。

9月15日 財団法人横浜一般病院設立に関し、厚生大臣宛申請書提出

1944(昭和19)年

1月20日 「財団法人 横浜一般病院」設立認可、大蔵省は敵産として接収した国有財産たる病院財産を本財団法人に無償譲渡(2月22日登記)

3月 山手地区外人立ち入り禁止。海軍の要請により病院を横須賀海軍病院に賃貸、代わりに中区相生町にある関東病院を買収、移転(3月23日)。(7月1日診療開始)

1945(昭和20)年

5月29日 横浜大空襲
焼夷弾攻撃により横浜市街地は見渡す限り焦土と化したが、病院は職員の奮闘により焼失をまぬがれた。他に残った建物はホテルニューグランド、横浜正金銀行、県庁。

8月15日 太平洋戦争終結
同28日 連合軍進駐、同30日 マッカーサー元帥、ホテルニューグランド入り帝国海軍に賃貸していた山手の病舎(横須賀海軍病院横浜分院)は進駐軍に接収され、病院は欧米人の運営に復帰、ブラフホスピタルを経て現在のブラフクリニックに至る。

1946(昭和21)年

写真提供=神奈川新聞社

7月3日 相生町の病院を新たに「財団法人 国際親善病院」として、厚生省の許認可を得て設立

標榜科目:内科(小児科を含む)・外科・産婦人科・理学診療科の4科、病床数59床

1952(昭和27)年

5月17日 財団法人を「社会福祉法人国際親善病院」に組織変更認可

1967(昭和42)年

2月 総合病院となり「国際親善総合病院」に名称変更

1990(平成2)年

5月8日 新病院開院(泉区西が岡に移転)
一般内科・消化器内科・循環器内科・呼吸器内科・神経内科・心療内科・小児科・外科脳神経外科・整形外科・産婦人科・皮膚科・泌尿器科・眼科・耳鼻咽喉科・放射線科・麻酔科の17診療科、病床数300床

8月 「社会福祉法人 親善福祉協会」に名称変更

1998(平成10)年1998(平成10)年

12月 財団法人日本医療機能評価機構から病院機能評価(一般病院種別B)の認定(神奈川県内第一号)を受ける。

2001(平成13)年

3月 厚生労働省から臨床研修病院に指定される

4月 地域医療連携室開設

2008(平成20)年

4月 院内保育園開園

2009(平成21)年

4月 医療安全管理室開設

2011(平成23)年

5月 電子カルテ導入・院外処方開始

病院の理念

国際親善総合病院は、急性期中核病院として、地域の医療人と利用者の信頼を得る中で、病める人々の権利と安全を尊重しつつ良き医療を提供することを第一義として考え、次の通り『理念』を掲げています。

良質な医療の実施

良質な医療の実施

親切な医療の実施

親切な医療の実施

信頼される医療の実施

信頼される医療の実施

病院概要

名称 社会福祉法人 親善福祉協会 国際親善総合病院
International Goodwill Hospital
所在地 〒245-0006 神奈川県横浜市泉区西が岡1丁目28番地1
電話番号/FAX TEL.045-813-0221(代表)/FAX.045-813-7419
設立 開設年 1863年4月
移転開院 1990年5月8日
診療科目

内科

消化器内科

循環器内科

内分泌内科

腎臓・高血圧内科

神経内科

精神科

呼吸器内科

呼吸器外科

小児科

外科

整形外科

脳神経外科

産婦人科

眼科

耳鼻咽喉科

皮膚科

泌尿器科

画像診断・IVR科

麻酔科

敷地面積 29,430m2
建物延床面積 16,900m2
病床数 287床(一般病床)